「人首丸」の墓碑周辺の刈り払い

平成25年6月13日(木)

大森山の中腹にある人首丸の墓碑。彼は蝦夷地征廷に来た朝廷側の大将坂上田村麻呂の娘婿兼光と最後まで戦い、美少年人首丸はこの戦いでこの大森山で屈したと言われている。彼の名前がそのままこの土地の村名「人首村」として明治22年まで使われ、その後米里村に変わった。
現在は字名「人首町」が残っている。米里文化財調査委員会は毎年墓碑までの山道を刈り払いし続けている。この日は春ゼミの蝉しぐれがすごいと感じた。最後はお神酒をあげ、みんなで拝み、団子を食べて今年の刈り払いを終えました。今年は木苺がまだ花の状態で、熟すのは2週間後位か?[余談]岩手沿岸で有名な郷土料理「いちご煮」は、ちょうど木苺が実る頃にウニを採り、あわびと一緒に煮たもので、黄色い木苺に似ているからかなと思ったりしている。自信なし・・・・・。今、木苺が熟れています。

人首丸の墓碑周辺の刈り払い

人首丸の墓碑周辺の刈り払い

人首丸の墓碑周辺の刈り払い

人首丸の墓碑周辺の刈り払い

 

ほとんどが70代以上。田舎は今大変です。

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