賢治街道を歩く会 | 活動記録

賢治街道を歩く会

【ありがとう】旧木細工小学校保存事業

 木細工村おこしの会(代表菊池春男氏)が皆さんからの支援で旧木細工小学校の土台及び屋根の修復を終え、保存事業第一段階が終了しました。会員の皆さんご支援ありがとうございました。
第二段階は内部の補修や、昔の机椅子が一体した机の作製に取り掛かるようです。
ほとんどが高齢者の村おこし会の会員の取り組みに感服です。若者たちもその心意気を感じ、先日3・11震災後2年振りの木細工祭りを地域民と共に盛り上げていました。木細工の取り組みに拍手!
地域民の手で右手にあった旧中学校を解体地域民の手で右手にあった旧中学校を解体佐藤板金さんがボランテイア価格で佐藤板金さんがボランテイア価格で016.jpg


第一段階完成第一段階完成!018.jpg「風の又三郎」をテーマにした藤城清治氏のロケ隊。椅子に座ってスケッチしている人が藤城清治氏。この時のスケッチが「光のファンタジー」展で展示。


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 木細工くるみ祭りが震災以降2年振りに復活。大賑わいでした。木細工小の子供達は「種山ヶ原太鼓」先生方は焼きそば作りで祭りを盛り上げていました。田舎なればこその取り組みです。木細工、万歳!

「木細工村おこし会」へご支援をお願いします。
【連絡先】会長 菊池春男  TEL:0197-38-2252

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寄稿「作家・井上靖の手紙が紹介される」

佐伯 研二 氏

 米里の「人首文庫」所蔵資料の中に、高名な作家・井上靖の手紙がある。佐伯郁郎宛の手紙だが、郁郎は旧米里中学校校歌の作詞者でもある。他に、梁川・伊手・稲瀬・広瀬など、県内の約三十校の校歌を手掛けている。
 そのように郁郎は詩人であり、一方では旧内務省図書課員でもあったため、詩人や作家、また児童文学者に至るまで、幅広い文学者との交流があり、それを示す諸資料が、彼の生家に保管され、現在「人首文庫」として開設している。
 その中の一つに、井上靖の若き日の手紙があったのである。それが今回、一関在住の詩人で作家の小野寺苓先生のエッセー集『心の旅・井上靖紀行』(土曜美術社・2013年発行)の中で、詳しく紹介された。解説文には

「若き日の井上靖が、佐伯郁郎に宛てた一通の手紙との出会いが、小野寺さんを旅人にした。日本の生んだ世界的作家の文 学とゆかりの地をめぐるうち、それはいつしか小野寺さん自身の心の旅になる。詩人・北川れいとしても活躍する著者の珠玉のエッセー集は、さらに多くの読者を新たな旅路へ誘うことだろう。(一色真理)」また、本文中の冒頭には、次のように記されている。「岩手県奥州市江刺区米里に、山肌に抱かれるようにして静かな佇まいの私設文学資料館『人首文庫』がある。宮沢賢治の詩で有名な種山ヶ原へ行く道筋にあり、現在は米里と地名は変わっているが、かつてに地名は人首である。
『人首文庫』は、岩手の詩人・佐伯郁郎(本名・慎一・1901~1992)の生家の邸内に残されているいくつかの土蔵の中の一つを利用したもので、郁郎の残した蔵書、資料等を展示している。もともと郁郎の生家は人首城主に仕えた家柄で340年続いている旧家である。蔵の中には郁郎が生前交流した詩人、作家、児童文学者の手紙や写真、寄贈された本、彼が在職した内務省関係の資料等、計四千点余りがあるが、その中に井上靖の手紙と色紙がある。」

以下、関心のある方は、同書をご覧いただきたいと思う。
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文学散歩

 10月25日の戯曲「種山ヶ原の夜」をテーマにした「宮沢賢治の世界」ワークショップは台風のために中止。11月7日(木)に童話「銀河鉄道の夜」をテーマにしたワークショップを実施。22名が参加。<旧水沢緯度観測所~人首町~五輪峠~めがね橋(宮守)~花巻市立博物館・童話村>と昨年の逆コースで実施しました。
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大江先生のお話はいつ聞いても実に内容が濃く、深く、聴く者に感銘を与えます。観測所の歴史、風の又三郎と水沢緯度観測所、風野又三郎と風の又三郎そして、賢治とILC等全て興味深いお話でした。時間がもっとあればどんなによかったか。奥州宇宙遊学館は正に宇宙への一歩を踏み出せるところです。そして、一つの賢治との出会いの場です。
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「賢治歩いた畦道」で佐伯研二氏の説明を聞く。トークが実に深く、楽しい。

人首文庫正門前で人首文庫正門前で五輪峠で雨。残念五輪峠で雨。残念!


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めがね橋を通る電車を見て、花巻市立博物館へ 「藤城清治・光のファンタジー」を鑑賞。実に素晴らしく皆さん感動したようだ。再度、見に行った人が結構いたようです。童話村もとてもよかった。今年中に戯曲「種山ヶ原の夜」の講演会を是非実施したいと思います。

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第2回「旧五輪街道整備事業」

 11月2日(土)千田武宏部長他7名で旧五輪街道の整備を実施しました。台風等で街道の欠損が心配されましたが、それほどの被害もなく、順調に作業が行われました。これまでの整備で、笹はほとんど生えなくなり、今はイタドリと峠の観光客によるごみの戦いです。
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「星めぐりの旅」今年も「夏の第三角」に出会いました!

 9月10日(火)午後4時 晴れ 市内から88名参加。
 物見山に登山。といっても駐車場から20分で登れます。岩手山、早池峰山、室根山が見えます。東屋で小休止東屋で小休止山頂で山頂で帰りに大岩に上って 帰りに大岩に上って 


眼下に星座の森が眼下に星座の森が親子で夕食のおにぎりを親子で夕食のおにぎりを夕食後はのんびりと夕食後はのんびりと



「星座の森ミニコンサート」

《歌》菊池葉子先生 《ギター》野坂晃平郷土文化館学芸員

星座の森ミニコンサート星座の森ミニコンサート


 菊池正仁さんの司会で素敵なコンサートになりました。
 賢治の歌「星めぐりの歌」「牧歌」「剣舞の歌」「ポランの広場」「種山ヶ原」を聴き、最後にはみんなで「星めぐりの歌」を歌いました。種山ヶ原で宮沢賢治作詞・作曲の歌を聴いたり、歌ったりするのは雰囲気が出て、とてもよかったと思います。来年はもっと素敵なコンサートを。

原子内貢先生の「星のお話」

原子内貢先生の「星のお話」 「星めぐりの歌」に出てくる星を中心にお話していただきました。
話の途中で種山ヶ原特有のガスが出てきて心配になりましたが・・・・・



星座観測

星座観測 星空観測会場に行くと、だんだんガスが消え「夏の大三角」や天の川がよく見え、感動!奥州宇宙遊学館の方々と酒井栄さんが望遠鏡を6基セットして、星や月を見せていただいて、子供たちにとってとてもいい体験になったと思います。大江昌嗣先生をはじめ奥州宇宙遊学館のスタッフの皆さんと酒井栄さんに多謝! 



記念撮影

記念撮影

 昨年は大江先生が天の川をバックに記念写真を撮りましたが、今年は北斗七星をバックに写真をとっていただきました。しかし、やはり子供たちにとって15秒は長いようです。



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「石の学習会」の報告

平成25年8月8日(木)晴れ

8時30分 JR水沢駅東口集合
8時45分 市役所江刺支所東口
9時15分 JA米里支所
9時45分 戸中金山跡着

 案内人佐藤昭治さんから戸中金山概要説明の後、講師の原子内先生から石の見分け方や諸注意を聞き、佐藤昭治さんの案内で最後の坑口「鷹ノ巣坑道」へ。暑い日だっただけに、深い森はひんやりとし坑道前を流れる戸中川渓谷が美しく、涼しげである。坑道前に行くと更に坑道から涼しい風が流れ、もっと暑い朝は坑道口の上から冷たい霧が吹き出て、朝日射し虹がとてもきれいとか。
 坑道に入ることはできませんでしたが、ライトで照らし、中を見た子供たちは「すごい、すごい」と喜んでいました。その後会員の手を借り戸中川渓谷を渡り、当時としては珍しい発電所跡、その電気で鉱石を砕く搗鉱機跡について、また豪華な事務所等について佐藤昭治さんから説明を受け、戸中金山の当時としてはレベルの高さに感心しきり。
 原子内先生から石はどのようにしてできるか、石の見分け方ルーペの正しい使い方等の説明を受け、周辺の石の採集をしました。子供たちは珍しそうな石を見つけると原子内先生に持って行き石の名前を聞きたいのですが、テーマの「石はどのようにしてできたのか?マグマからできた石、堆積してできた石」を伝えたい先生としては大変苦労されているようでした。それでもその石の中にモリブデンや磁鉄鉱が含まれていることを知ってとても喜んでいました。どの子も3種類程度の石を学習し、木細工へ出発しました。
「石の学習会」の報告原子内先生から諸注意「石の学習会」の報告「石の学習会」の報告佐藤昭治さんから鷹ノ巣坑道の説明


「石の学習会」の報告戸中川渓谷を石を伝って渡るスリル「石の学習会」の報告佐藤昭治さんから戸中金山の説明を聞く「石の学習会」の報告熱心に先生の説明を聞く子供達


「石の学習会」の報告「石の学習会」の報告「石の学習会」の報告




 木細工では木細工小学校の児童5名と教職員、地域の方々が加わり、総勢40名程になりました。体育館で米里産直の味噌おにぎりを頬張り、午後の石の採集に備えました。今年は水量が多いので、少し上流の川で行いました。菊池春男さんを中心とする地域の方々が草を刈ったり、橋を作って待っていてくださいました。多謝!
 行動開始前に、再度テーマ「石はどのようにしてできるか」(マグマでできる石、堆積してできる石)そして木細工特有の磁石にくっ付くという石(餅鉄)のお話を聞き、最低5種類の石は見つけることを今日の目標に向かって石の採集を始めました。ここでは砂金採りをする人も出てきて、盛り上がったが砂金は見つからなかったものの水晶を見つけたり、子供たちは餅鉄を見つけて大喜び、磁石を近づけ、くっ付くのに驚いていました。今餅鉄はあまりなく春男さんが見つけておいた餅鉄を子供たちのために川に置いていたものです。木細工小学校の子供たちには珍しいものではないので、餅鉄を見つけると、他校の子供達にあげていました。やさしい子供達です。また、中には丸い塊を見つけ、ルーペで真剣に観察したもののアスファルトの塊だったりと愉快な発見もあり、大いに盛り上がった石の採集でした。木細工小学校の体育館でラベルに名前を書いて、石の整理をし、お互いに見比べては自慢しているいい風景でした。最後に原子内先生が木細工小学校周辺で採集した石を火山岩と堆積岩に分けた標本を木細工小学校の校長先生に寄贈。
「石の学習会」の報告テーマ「石はどうのようにしてできるか」を熱弁「石の学習会」の報告「石の学習会」の報告先生が木細工で採集した石の標本で事前に説明をしていただきました「石の学習会」の報告「石の学習会」の報告「石の学習会」の報告




 JR水沢駅東口に午後4時頃着き、解散しましたが、案内してくれた佐藤昭治さん、いつも講師として熱心に指導していただいている原子内貢先生、事前に戸中金山周辺の草刈りを してくれた佐藤信雄さん、三井紀悦さん、菊池隆紀さん、佐藤昭治さん、千田義一さん、木細工の川周辺を整備していただいた菊池春男さん、会場を提供していただいた木細工小学校の校長先生をはじめ諸先生方、当日同行していただき子供達にお世話いただいた市広報担当の佐々木光男さん、岩手日日の千田昭彦さん、胆江日日の宮本升平さんご協力ありがとうございました。また、大人の方も多く参加していただき心から感謝しています。
 子どもたちが、石にはそれぞれに歴史があり、歴史からいただいた名前があることを少しは理解してくれたのかな、そして「石っこ賢さん」に近づいてくれたような気がします。
 これからも子供たちに「知ること」の楽しさを体得させられる取り組みを計画していきたい思っています。今後ともよろしく!


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「旧五輪街道」整備

平成25年6月22日(土)晴れ

 27日仙台のカルチャースクールの人達が米里を訪れるということで、旧五輪街道の整備事業を行いました。8時50分に上大内沢部落館前に集合し、打ち合わせをしてすぐに頂上と下の二手に分かれて行動を開始した。今日の参加者は委員長千田武宏さん、区長千葉光男さん、千葉勇幸さん、佐藤信雄さん、菊池隆紀さん、千田伸二さん、千田正文さん、千田義一さん、山崎の9名。
 頂上はやはりイタドリが伸びて、案内板も階段も草に覆われていた。途中、ここ二日以内の熊の糞や木に爪痕があった。オダマキやニッコウキスゲ?が咲いていた。春ぜみの鳴き声が強い日差しに余計に高く聞こえる。3時間ほどで合流し、団子を食べながら世間話をして、終了。どの人も疲れているようだが、満足しているようだ。物事っていうものは、後で感ずるものだ。動きを作ることがが大切だと思う! 

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「人首丸」の墓碑周辺の刈り払い

平成25年6月13日(木)

 大森山の中腹にある人首丸の墓碑。彼は蝦夷地征廷に来た朝廷側の大将坂上田村麻呂の娘婿兼光と最後まで戦い、美少年人首丸はこの戦いでこの大森山で屈したと言われている。彼の名前がそのままこの土地の村名「人首村」として明治22年まで使われ、その後米里村に変わった。
 現在は字名「人首町」が残っている。米里文化財調査委員会は毎年墓碑までの山道を刈り払いし続けている。この日は春ゼミの蝉しぐれがすごいと感じた。最後はお神酒をあげ、みんなで拝み、団子を食べて今年の刈り払いを終えました。今年は木苺がまだ花の状態で、熟すのは2週間後位か?[余談]岩手沿岸で有名な郷土料理「いちご煮」は、ちょうど木苺が実る頃にウニを採り、あわびと一緒に煮たもので、黄色い木苺に似ているからかなと思ったりしている。自信なし・・・・・。今、木苺が熟れています。

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ほとんどが70代以上。田舎は今大変です。


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「蓮華つつじ・野芝を救う」運動

平成25年6月11日(火)

 「賢治の森」でこの運動を始めて3年目になります。笹や柳の木等を刈ったためか、かなりツツジの姿が見られるようになりました。今日は午後から7名(小竹倉男さん、佐藤信雄さん、三井紀悦さん、菊池隆紀さん、佐伯研二さん、杉田勇さん、山崎)で取り組みましたが、東菊の咲いている部分は花が終わるまで待つことにして、終了しました。

001.jpg物見山を背に記念写真002.jpg


003.jpg004.jpg立石の向こうには大森山


005.jpg風の又三郎君も気持ちよさそうでした!006.jpg昔は向こうの松林はなかったそうです。伐って蓮華つつじの顔を出してあげたい



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「蓮華つつじを救おう」運動

平成25年6月1日(土)

 種山ヶ原は清々しく、春ぜみ、カッコー、不如帰の鳴き声に迎えられ、物見山山頂に到着。早池峰・駒ヶ岳を中心とする西山がくっきりときれいに見える。しかし、岩手山、須川岳はうっすらと見えるだけで、とても残念であった。今日要請した人たちの多くはしばらく物見山山頂に登っていないと思ったからである。
 今日の取り組みに12名(小竹、菊池春、菊池祐、菊池進、菊池敬郎、数江與、杉田勇、菊池隆、菊池英、佐藤信、山崎、支配人菊池)が参加してくれた。多謝!経費の関係で多くの人に要請できないのが残念である。
 9時過ぎから主旨(①ツツジを救い出す②野芝を救う)説明をし、手分けして作業を開始した。今日は、何故か観光客が多く、頼まれもしないのにガイドをしてしまった。年寄りの悪い癖か?
 2時間もすると自然と作業の手が止まる。ほとんどが70歳以上であるから仕方がないことである。無理なく、楽しんでが我々のモットー。星座の森のレストランで休憩し、解散。お疲れさまでした。今年度はあと2回計画しているので、協力できる人はご連絡をお願いします。次回は6月11日午前中の予定です。

001.jpg後ろには岩手山が見えていた002.jpg後ろはアメダス測候所
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 来春は野芝の面が広くなり、ツツジもいっぱい咲くでしょう。来年は住田町の人達といっしょにこの取り組みをしたいと考えています。


「種山高原山開き」

平成25年6月2日(日)
種山高原観光協会(会長小沢奥州市長、副会長多田住田町長)

 6月。もう梅雨に入ってもいいのに、なぜか晴天続きです。今年の天候はちょっと変です。秋の実りの時期が不安!これまで寒くて蓮華つつじが咲くかどうか心配でしたが、どうにか間に合ってよかった。
 さて、今年も奥州市と住田町がスクラムを組んで、山開きが行われました。これからは、色々な取り組みを連携して進めていかなければならないと思う。世界の平和を希求する宮沢賢治が、この種山ヶ原を題材に色々な形の文学作品を育んだところだから。
 今年は、イベントも工夫され、楽しい一日だった。市役所・商工会議所の皆さん、お疲れさまでした。

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木細工小学校の子供達と親・若者の「種山ヶ原太鼓」。「親の姿を見て子は育つ」のいい例です。

007.jpg奥に見えるのが立石008.jpg伊手の金津流鹿躍り
009.jpg婦人会も祭り盛り上げに頑張っていました。010.jpg物見山を背景に蓮華つつじが咲いています。


 お祭り広場のあちこちで、踊りを見ながらジンギスカン鍋で楽しんでいる。うらやましいと思いながら
帰ってきた。来年は近所の人達を連れてきたいと思う。



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ふる里ニュース

 「アンジェラスの鐘」の屋根が変わったよ! 宮沢賢治も聴いたであろうカトリカ教会の鐘!
 明治17年教会堂が建立され、ジャッケ神父が常駐。明治30年代はマリオン神父、40年代はドシェ神父、マトン神父が常駐し、布教活動を続けていました。戦後は渡部さんが常駐。渡部さんが亡くなられてから三人のシスターが常駐し、布教活動が続けられた。明治38年から「アンジェラスの鐘」(フランス製)が人首の町に鳴りつづけて100年以上。しかし、信者の減少により常駐する神父もなく、鐘の音も途絶えることもありましたが、地元の小学生と地元有志によって鳴らし続けられています。
夕方5時前から「遊学スクール」(放課後教室)の子供たちと教会下の「一心床」の主中山昇幸氏及び有志がアンジェラスの鐘を鳴らしています。5時2分前に自徳寺の鐘、1分前にアンジェラスの鐘が鳴り始め、5時にはお館山のサイレンが鳴ります。時間的に微妙な差をもって人首の里山に3つの鐘が鳴り「音のある風景」の一つとして流れています。地区民にとっては心の安らぎを感じるひと時です。
 過日、主に水沢教会の支援、そして大内住建・佐藤一郎板金、地元有志の支援で、鐘塔が改修され、十字架も取り付けられました。水沢教会、棟梁の大内住建、一郎板金、ボラテイアの皆さんありがとうございました。また、花壇に花木や花の球根や苗を提供していただいた1・2区の皆さん、ありがとうございました。
5月10日(金)4時30分から、遊学スクールの児童20名、地元の人たち等40名が集まり、お祝いの会が開かれました。カトリック水沢教会高橋昌司祭によるお祈り・祝別・讃美歌、花壇への花の種蒔き、そして、完成を祝って500個の「餅まき」が行われ、11個も拾った子もいて、大いに盛り上がりました。5時に子供と大人の代表が鐘を鳴らし、人首に町に鳴り響きました。

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オズーフ司教の人首巡教記録

明治21年7月

ジャック神父の報告書によると、明治21年にはオズーフ司教が巡教し、実に盛大だったと伝えられています。

 「(気仙沼教会の次の目的地が人首教会)7月23日気仙沼教会を出発。薄衣まで徒歩、ここから川蒸気船で一関泊、水沢で休憩のあと腕車(人力車)で人首に向う、水沢より人首まで5里ばかり、多くの信者が先頭に十字架の旗を立て、整然と行列をなして進む。人首に入るや一層の人数と参観者で道路は通行できないほど、人首村の小丘にある殿堂には緑門球燈その他いろいろな装飾を施し、田舎に不似合いな盛況に一同驚く。夜になって更に驚いたことは25年振りという打ち上げ花火が実に見事であった。当時は以前魯西亜教会(ハリストス正教会)の布教地であったが信者は我が公教に帰服して今はほとんどいない。司教は聖堂に参拝し、信者一同に謁を行賜い信者の祝詞など聞かれた。翌25日は聖シャコボの祝日で、洗礼4人堅振32聖体は5,60人に達す。司教は信者の厚遇に後ろ髪引かれる思いで人首を後に水沢教会へ向かった。」26日水沢発盛岡へ、盛岡の町に入る頃は腕車の数は5,60台もあった。オズーフ司教はその後青森へ向かってい
ます。

ジャック神父・報告書

明治32年

 「東京より汽車にて青森に至らんとする人は岩手県水沢の停車場に着く頃、右方に当たりて鋸の歯形をなせる山脈の連れるを見ん。その中に殊に高く聳ゆる一峰あり。勾配北に向かうて漸くに降る。之を種山と呼ぶ。(宮沢賢治で有名な種山ヶ原。水沢より7里)人首の邑は其の麓に在り、大船渡街道に当りて戸数二百余を数え、我が岩手第二の教会あり。能く信仰を守り居る我が信者は、凡そ60人を数うるなり。復活の勤めをなす信者のみにても30人を越ゆ。此地に最も長く働ける伝教士を吉田喜三氏とす。昨年9月司教閣下が堅振の秘跡を授くるために臨まれし時の如き此地の信者は能く2か月の間熱心に教理を研究し、当日の準備をなしたりき。・・・・・・・ 」
ジャック神父・報告書ジャック神父・報告書ジャック神父・報告書

三人のシスターが去り、教会を守る人もなく、老朽化したために2010年初冬取り壊されました。子どもの頃、信者でもないのに毎週日曜日9時になると、カトリカ教会に礼拝堂ぎっしりとなるくらいの子供達や信者が集まり、お祈りをし、賛美歌を歌い、神父さんのお説教を聞きました。時には外国人の神父さんが外車で来たり、葬式も仏教と違い華やかだったりと色々なことを知ることができました。そのようなことを懐かしみ、語り、写真を撮ってお別れをしました。なお、地元の人たちはカトリカ教会と言いますが、正しくはカトリック教会と言います。今は、カトリック水沢教会が管理をしています。


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