『賢治の世界』ワークショップ~種山ヶ原山麓の古道探訪会~

10月11日少し雨が降りましたが、41名が参加し、佐伯研二さんの面白いトークも入り、又昔の写真を示しながらのガイドで楽しく、賢治の世界を体感できたように思います。今回は宮沢賢治が盛岡高等農林学校3年生の時、同級生佐々木又治・高橋秀松と共に大正6年江刺郡地質調査のために江刺郡(現奥州市)を訪れ、友人保阪嘉内への4通の葉書を投函した郵便局及びその葉書の内容に関わる地域を巡る旅、そして賢治が歩いた昔の街道を辿る旅を企画しました。今回はわいわいネット(株)のカメラマンが同行して記録していただきました。来週放映とか。

種山ヶ原山麓の古道探訪会
最初に賢治が葉書を投函した田茂山(現羽田)郵便局へ、そして伊手川沿いにあった気仙街道を辿り、賢治が見、作品に残した原体剣舞の里・原体(現田原)及びその神社についてお話を聞きました。そして、新しく改築された藤里地区センターで休憩。その後、伊手郵便局から投函された葉書に描かれてある「銚子山」の説明を聞きながら、伊手の町へ。旧伊手郵便局跡地、泊まった菅原旅館、柿ノ木の佐藤家はすでになく、写真での説明でした。
伊手の町は昔鉱山で栄えた所で、街並みの形は残っています。また、伊手の阿原山にも賢治の詩碑があります。旧赤金鉱山跡、かすかに残る賢治が歩いた気仙街道を見ながら、種山ヶ原へ。時間の都合で、口沢、鶯峠は説明だけで次回のツアーで。

種山ヶ原山麓の古道探訪会
種山ヶ原の星座の森で昼食。全員カレーライスをお願いしていましたが、キッチンは二人だけのため、参加者にお手伝いしていただきました。ありがとうございました!賢治カレーライス好評でした!

種山ヶ原山麓の古道探訪会

種山ヶ原はもう晩秋の気配で、桜の葉っぱはもう真っ赤。風の又三郎も寒そうに見えました。

種山ヶ原山麓の古道探訪会
風の又三郎像の前で記念撮影

 

昼食後、米里隆盛の源・栗木鉄山精錬所跡地を見学。この谷間に学校もあり、数百人が住んでいたとは思えない。しかし、鉄索の停車場もあり、栗木鉱山(鉄山)から鉱石を運び、精錬し、精錬された鉄を水沢や、盛に運んだという。山林が鉄精錬のために木炭が大量に必要になり、木が伐られ、山林は原野同然になってしまったという。その山林を復活させるために地域民が奮闘し、植樹祭に県知事大津隣平を招き、祝賀会が開かれた会場が「風の又三郎」「農村の子ら」のロケ地・木細工小中学校(校舎存続が今進められている)。その校舎を見て、山本口へ。この地区も賢治作品に大きく関わっているので、次回のツアーに組み入れたい。

種山ヶ原山麓の古道探訪会
栗木鉄山精錬所跡地を見学

次に4枚目の葉書を投函した人首の郵便局(現在は個人宅に)へ。人首ハリストス正教会跡地でお話を聞いている時に雨が降ってきたために、人首町自治会館で詩「人首町」「人首町下書き稿」等についてお話を聞きました。案内板を見ながら散策する予定でしたので、是非また来られて案内板を見ながら歩かれると楽しいと思います。

種山ヶ原山麓の古道探訪会

種山ヶ原山麓の古道探訪会

種山ヶ原山麓の古道探訪会

11月1日((木)には、宮沢賢治が大正13年に訪れたコースのワークショップを計画しています。