胆江日日新聞の「遠近両用」(若林正人 さん)の記事に注目。どうしても朝方天頂に にある星座「スバル」を見ているところに 心が行ってしまう。新聞を見て、舞台設定 について、地区民にもう一つお知らせしな ければならないと気がつかせてくれた。
若林さんに感謝です。さすが賢治研究家。
続きを見る>>種山ヶ原は今㊹
「賢治街道を歩く会」は宮沢賢治の足跡や作品と米里の関わりの深さを正しく後世に伝えるため発足した会です。
胆江日日新聞の「遠近両用」(若林正人 さん)の記事に注目。どうしても朝方天頂に にある星座「スバル」を見ているところに 心が行ってしまう。新聞を見て、舞台設定 について、地区民にもう一つお知らせしな ければならないと気がつかせてくれた。
若林さんに感謝です。さすが賢治研究家。
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暑い中、今年2度⽬の草刈り完了
早朝5時頃からの草刈り 刈った草処理が⼤変です。
みんな⾼齢ながら頑張った。多謝!
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「大森山」は種山ヶ原のとなりにあり、800年頃 人首丸と坂上田村麻呂との最後の決戦の場所。この頃朝廷は蝦夷討伐に幾度となく兵を送っている。胆沢平野ではアテルイとモレは民のことを考え、降伏し京都に連れて行かれるが、惨殺された。人首丸は最後まで朝廷と戦うことを決意し、北上山地の大森山を決戦の場とした。この時の大将は娘婿田村兼光。人首丸は戦いに負けたが、若き武将「人首丸」の名は地名として残っている。<人首町、人首川、人首小学校etc>
明治22年までは人首村だったが、米里村に村名をかえた。
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「星座の森」スタッフ、頑張っています!
4月15日「星座の森」のスタッフが出迎えてくれました。新メンバーも加わり彼らは4月中開設に向けて頑張っていました。とても良い雰囲気でうれしかった。
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