五輪峠は今①

1 五輪峠の歴史について
 【五輪塔について】
 今から350年以上前に、上大内沢の千葉日向という侍が、葛西大崎一揆によって葛西氏が攻められた時、従軍して戦死した父の菩提を弔うため上野の子息日向が寛永年間に建立したものと言われている(江刺郡志)。千葉上野屋敷跡は上大内沢にある。
 峠はかつての盛岡藩領と伊達藩領の藩境で、麓には両藩の境目番所があった。
 昭和29年五輪峠に行った時、まん丸い石が崖の下にあり、不思議に思ったことを覚えている。地震で崩れていたのだろう。その後31年に県道ができた時、花巻側に移されたのでしょう。現在の五輪塔は三代目と思われる。

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「種山ヶ原は今㉙」

「俺らのがきの頃は、種山は一面野芝だったがら裸足で歩いだもんだ。あるのは馬っこも食わねえレンゲツツジだげさ。」
 私たちはそんな話を聞いて、宮沢賢治の「イーハトーブ風景地」でもあり、少しでもその当時の姿を残そうと草刈りをしながら守ってきました。その当時も咲いていた「皿っこ花っこ(東菊)」やツツジも賢治の森や物見山にいっぱい咲くようになりました。そんな取り組みの記録として撮っていた写真を地区民にお見せして、「種山ヶ原は俺たちの山なんだ」という意識を持っていただきたいのです。今回から6回に分けてお知らせします。写真の説明を小洒落て俳句でと思いましたが、難しいと感じました。恐れ多く5・7・5の形で書きます。

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「種山ヶ原は今㉘」

星空観察会(江刺ひがし小学校5年生)

8月31日種山ヶ原キャンプ合宿
夜には宇宙遊学館館長の亀谷先生を講師に星空観察会が行われ、きれいに「夏の大三角」を見ることができたそうです。更にスーパームーンそれも月による彩雲も見られたのは日頃の行いがよかったからですね。
会として講師謝礼を支援しました。

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「種山ヶ原は今㉗」

7月5日 物見山の草刈り 菊池敬、田村、安西さん、ありがとう!
物見山のアズマギクの花も終わり、種が飛んだことを確認し、草刈りを行った。
物見山にも数年前から増えてきた。登山者が楽しみにしている花だ。レンゲツツジの幼木も増えてきた。上手に育てていきたい。カキツバタもさいていました。

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