五輪峠

【開催日】平成24年6月24日(日)

五輪峠001

26日(火)NPOネットが募集した30名の人達が五輪峠を歩くというので、10名の応援を得て五輪峠の刈り払いに行きました。今年度初めてなので、松の大木が2本倒れており、イタドリは高さ3Mにもなり、大変でした。
疑問:宮澤賢治イーハトーヴ風景地の一つ「五輪峠」にエリア外とはいえ、鉄塔が立っていました。風景地を守ろうとする者の気持ちも考えてほしかった。

五輪峠002

五輪街道整備春ゼミが鳴き、大ルリのさえずりを聴き、木陰で休む8人の侍この辺が丁度中間地点。下からの入り口の案内板をたてました。

【開催日】平成24年6月26日(火)晴れ

五輪峠003

五輪峠004
30名程が五輪峠にやってきました。途中、胆沢平野が見える場所で休憩をとりましたが、その時大ルリが正に瑠璃色のきれいな姿で森の中へ。

五輪峠005

五輪峠006
佐伯邸前で

「五輪峠」で佐伯研二事務局長から「宮澤賢治と五輪峠」の説明を聞き、いざ出発。木漏れ陽の雑木林の小道は腐葉土でやわらかく、歩きやすい。道端にはミヤマオダマキ草やホタルブクロが、上を見れば朴ノ木の大きな葉に白い大きな花に歓声が。また、木いちごの実や山桑の実を頬張り、あっという間の50分で上大内沢に。バスで佐伯邸に行き、昼食を食べ、佐伯事務局長のお話を聞いていた時、誰かが「あっ、かわいい小熊」。木の陰から小熊も一緒に聞きたかったのか、顔をのぞかせていました。みんなの楽しい1日になりました。

今年の「賢治の森」

昨年、初冬の吹雪の日、宮澤賢治が訪れた頃のような草原の種山ヶ原にしようと会員15人で松の木を伐採し、笹を刈り、幾分眺めのいい「賢治の森」になりました。
蓮華つつじが去年よりたくさん顔を出し、少し咲き始めました。6月4日の山開きには多分満開でしょう!残念なのはまだまだ灌木が多いということです。賢治の見た「種山ヶ原」には程遠い風景です。どうにかせねば・・・・・

2012今年の賢治の森-001

2012今年の賢治の森-002

薄紫の「東菊」が一面に咲いていました。蓮華つつじが少し咲き始めました。昔、放牧された馬は草や笹は食べるが蓮華つつじを食べないと言われています。そのために蓮華つつじだけが残ったのでしょう。因みに東菊を昔「皿っこ花っこ」と言っていたような。

2012今年の賢治の森-003
蓮華つつじが少し咲き始めました。昔、放牧された馬が蓮華つつじを食べないために残ったと言われています。

2012今年の賢治の森-004
牧草が伸びて、気持ちのいい高原ですが、放射能の量が基準より多いということで、放牧は中止。また、土も掘り起こさなければなりません。今は、もう問題はありません。カッコーが大きな声で鳴(泣)いていました。私たちも「宮沢賢治の詩の原風景」を取り戻すために頑張ります。11月には木や笹の刈り払いを実施します。ご協力をお願いいたします

案内板設置完了

案内板設置完了

地域の方々、子供達、賢治ファンのために、これまで20枚の案内板を設置し、今回3枚の案内板を追加し、概ね完了しました。米里の地域の方々、米里を訪れる賢治ファンの方々にとって賢治作品の追体験ができる環境ができたと思います。
五輪峠には「賢治の歩いた峠道」を、人首町には「人首町」「人首町下書き稿」をそれぞれ設置しまた。五輪峠は蛇紋岩の岩山で、設置のための穴掘りには苦労しました。佐伯研二氏、千田義一氏、ご協力いただいたケンナンサインさん、ありがとうございました!

案内板設置『賢治の歩いた峠道』

案内板設置完了
五輪街道は、宮沢賢治の歩いた江刺郡の旧街道(黒石・気仙・盛)の中で、最も当時の景観を残している道筋です。特に、この五輪峠から北新田までの峠道は、その後の道路開発からも逃れ、ほんど昔のままの状態が残っています。
今では地元住民にも忘れ去られようとしていますが、明治元年には本州で一番最初にロシア正教を人首番所で説いたという澤邊琢磨(坂本龍馬の従兄弟)や、同三十九年には高名な俳人河東碧梧桐、またその後の大正九年八月に柳田國男などが、この峠を上って遠野に向かいます。さらに、柳田に『遠野物語』の原形を伝えた佐々木喜善は、大正十一年二月に、遠野側からこの峠を下り、江刺郡の徒歩旅行をしていますが、その時の体験は、後に刊行された『江刺郡昔話』(大正十一年八月刊行)の中で、『江刺を歩き』と題し、表されています。
賢治が初めて五輪峠を訪れたのは、大正六年九月の江刺郡の地質調査時です。同行した友人の高橋は、賢治が「五輪峠では、蛇紋岩脈にハンマーを打ち入れ転び散る岩片を拾い乍ら、ホーホー二十年万年もの間陽の目を見ずに居たので、みんな驚いていると叫んでいた。」と述べていますが、現在も峠道の処所で、それと同じように露出した蛇紋岩体に出会うことができます。

案内板設置完了
賢治が二度目に五輪峠を訪れたのは、大正十三年三月です。その時は、現在の釜石線の鱒沢駅 で下車し、鮎貝~切伏~五輪峠を経て、人首町へ向かったことが推定されます。特に、五輪峠から人首町への行程は、第二詩集の『春と修羅』に収められた『五輪峠』「丘陵地を過ぎる」「人首町」等の連作から想像できます。現在もその道筋を辿ると、それらの詩に、描かれた情景がつぶさに浮かんできて、数少ない追体験のできる貴重な空間ともなっているのです。

賢治街道を歩く会

「人首町」 宮沢賢治 1924年3月25日
雪や雑木にあさひがふり
丘のはざまのいっぽん町は
続きを見る>>hitokabemachi.pdf

『蓮華つつじを守ろう』

【開催日】平成24年11月22日

寒さに耐え頑張りました!
寒さに耐え頑張りました!

種山ヶ原は賢治が来た頃は、馬や牛が放牧されているために、彼らが草を食べ、一面に野芝が敷かれた牧場でした。昭和30年代まではスズランやアツモリソウがいっぱい咲いていました。

物見山が見えるようになりました
物見山が見えるようになりました

馬や牛は蓮華つつじを毒と思うのか、蓮華つつじだけが多く残り、春は山一面に見事な蓮華つつじが咲いていました。しかし、今は、牛の放牧が減り、県営牧野の人手も少なくなり、牧場は放置され、灌木や丈の高い熊笹が茂ってしまいました。そのために、すっかり様変わりしてしまい、蓮華つつじは灌木や熊笹に覆われてその姿が見られなくなりました。
昨年度から種山ヶ原を元の姿に取り戻そうと取り組み始めました。昨年度は、「賢治の森」からの眺めよくしようということで、松の木を伐り、笹を刈りました。十二月の吹雪の日でした。

東菊の群生。もう少しそっとしておきたいが…
東菊の群生。もう少しそっとしておきたいが…

それまで灌木や熊笹で隠れていたツツジが顔を出しました。今年の春はいっぱい花を咲かせていました。その頃賢治の森には東菊(皿っこ花)が一面に咲きます。そう少しそっとしておいて欲しいが。

今年の「種山ヶ原山開き」
種山ヶ原山開き

種山ヶ原山開き

種山ヶ原山開き

11月22日(木)
「蓮華つつじを救う」今年の取り組みは、熊笹に覆われたツツジを救おうと笹刈りにしました。今年こそ、雪のない所でと思いましたが、さすがに種山ヶ原には前日の雪が積もっていました。それでも、見事に空は晴れ渡り、奥羽山脈はもちろん、岩手山・早池峰山・室根山もきれいに見えました。そんな中での作業は、順調に進み、蓮華つつじがいっぱい顔を出し、みんなで喜び合いました。来年はさらに松林を切り開こうと話し合いました。この取り組みに参加していただいた菊池祐孝氏、小竹倉男氏、平澤孝順氏、千田伸二氏、佐賀秀一氏、千田義一氏、ありがとうございました!

蓮華つつじを守ろう

蓮華つつじを守ろう

蓮華つつじを守ろう

第2回『文学散歩』 「宮沢賢治の世界」ワークショップ~五輪峠の古道探訪会~

<宮澤賢治が大正13年江刺を二度目に訪れたコース>
24・11・1 曇り時々晴れ
《8:10》水沢駅東口出発
《8:45》江刺支所出発
《9:10》JA米里支所 34名参加
《9:40》紅葉の五輪峠への山道を大きなバスで。
峠で道案内人佐伯研二さんの「賢治と五輪峠」についてお話を聞き、五輪街道散策に出発。

 

五輪の塔前で
五輪の塔前で

五輪峠の古道探訪会

五輪峠の古道探訪会

45分ほどで、大内沢に到着。
今なお残る賢治が見た上大内沢集落のこと、「さかや」「おどや」「まれぶぢ」等のことを聞きながら、街道を散策。
五輪峠の古道探訪会

五輪峠の古道探訪会

《11:45》佐伯邸に到着し、米里産直のみそおにぎり、鈴木だんごやのあん餅としょうゆだんごを食べ、人首文庫を見学。文庫の中の物に驚く。
《12:40》道案内人のガイドで人首町を散策

佐伯邸前で
佐伯邸前で
賢治か友人が診てもらったお医者さん宅の前で
賢治か友人が診てもらったお医者さん宅の前で

 

《13:30》水沢緯度観測所へ出発。
国立天文台名誉教授大江先生のお話を聞くことができました。緯度観測所の設立の経緯、木村栄先生のこと、賢治が訪れたこと、「銀河鉄道の夜」のこと等のことが聞くことができてとても勉強になりました。

五輪峠の古道探訪会

五輪峠の古道探訪会

旧水沢緯度観測所(宇宙遊学館)の前で
旧水沢緯度観測所(宇宙遊学館)の前で

道案内人佐伯研二さんには賢治の作品について幅広く、楽しく、そして、宇宙遊学館(旧水沢緯度観測所)理事長大江昌嗣先生には賢治と宇宙について映像を駆使して分かりやすくお話いただき、とても貴重な文学散歩になりました。本当にありがとうございました!