宮沢賢治が人首町を二度目に訪れたのは、大正13年3月24日である。その日は勤務先の花巻農学校の卒業式の翌日で、釜石線鱒沢駅で下車し、鮎貝を経て五輪峠を越え人首町の菊慶旅館に投宿している。大正6年も含め2度目の投宿。
翌日25日早朝菊慶旅館から人首町を眺め、人首橋付近で五輪峠方向を眺めながら周辺を散策し、「人首町下書き稿」を記したと思われる。
いつかは建立したいと思い続けていましたが、昨年の夏に会員からの提案で詩碑建立実行委員会を立ち上げました。目的は①子ども達・地域の人達の賢治作品への入口となり、やがて文学への一つの道筋になっていくこと②世界の賢治ファンの「詩の散歩道」の一つに③やがて来るであろうILCの研究者の方々を迎える文化的基盤作りの一端にもなることでした。又、今年は宮沢賢治生誕120年の記念すべき年でもあるということもあり、新たな一歩を踏み出すことができました。
賢治も歩いた旧盛街道を再生中
宮沢賢治は、童話「種山ヶ原」の登場人物達二が住み、火の神や泉のある山本、また種山までの最短ルート等から、投宿先の菊慶旅館から種山ヶ原までの「旧盛街道」を何度か通ったと思われる。この街道は産業で隆盛した頃からの盛街道以前の街道で、昔から内陸「水沢」から沿岸「盛」までの交易道路、所謂「塩の道」である。旧盛街道はその後、種山ケ原に馬や牛を放牧するためだけに使われるようになった。詳しくはこのHPの「宮沢賢治と人首」4「旧盛街道と山本」をお読みください。
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「風の又三郎」映写会と講演会
11月15日(日) 13:00〜16:00
講演会「宮沢賢治のこの地への訪れと風の又三郎」
講 師 大江昌嗣(NPO法人イーハトーヴ宇宙実践センター理事長)
「風の又三郎」と「風野又三郎」について、水沢緯度観測所やジェット気流と風の又三郎の関わり等について色々教えていただきました。
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未来は科学者!
バブロケットが種山ヶ原基地で見事に飛びました!
星座の森のレストランでの風の又三郎マラソン大会表彰式後、阿部惠彦先生の指導でフィルムケースロケット作りをしました。フィルムケースはもうほとんど流通していないので、JAXAから頂いたとのことです。JAXAに多謝!阿部先生は風船等を使い、ロケットが飛ぶ原理から丁寧に説明してくれました。
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今年も満天の星!
午後2時過ぎ、奥州宇宙遊学館の大江先生から決行しようと電話。待ってましたとばかりに星座の森の菊池支配人におにぎり作りを依頼。快くOK。車、お茶の手配で忙しい。しかし、空は雲でいっぱいだが・・・・・。
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