まさに賢治の詩「雨にも負けず…」で第1回「米里文学散歩」を楽しみました!

先週の旧五輪街道再生完了を受けて、11月6日(日)心配された雨も降らず、仙台から来てくれた佐藤功さんを含め約30名(小学生から80歳まで)が参加し、バスで地区センターを出発。岩手日報の木村さんも同行。五輪峠は靄に包まれ、奥羽山脈や胆沢平野は眺めることは出来ませんでしたが、この峠を越えた宮沢賢治の詩の世界を体感できるような雰囲気。佐伯研二さんから「宮沢賢治と五輪峠」の話を聞いて、さらに賢治の世界に。3代目五輪の塔前で記念写真を撮りました。

米里文学散歩

米里文学散歩

9時菊池隆紀さん・三井紀悦さんを先導に峠を出発。
今年作った階段を下りる。手作り感が好評(ほめられているのかな?)。今年4回も刈り払いをしたので、笹もかなり押さえられ、木の葉の絨毯の上をふわりふわりと柔らかく心地よい。宮沢賢治がこの峠を越えたのは春先だから、多分賢治も木の葉が敷き詰められたこの道を歩いたのかな?そう思うとなぜかうれしい!
道端には賢治が好きだった蛇紋岩があり、子供たちは蛇紋岩を覚えたようだ。これだけでも収穫。歩き始めて45分森林浴を楽しみながら全員無事に大内沢に到着。
※蛇紋岩や橄欖岩にはイリドスミンという鉱石が含まれているらしい。その中にはイリジュウムが含まれており、極めて硬い元素で万年筆の金ペン先の裏側についていてペンが減らないようにする性質を持っていたようです。その当時は貴重な鉱石で賢治は企業化も考えたとか。
また、沖縄で地震があまりないのは、蛇紋岩が衝撃を吸収するかららしい。米里も市内の震度の半分ぐらいなのはそのためでもあり、人首花崗岩帯のおかげと納得できる。

米里文学散歩

米里文学散歩

上大内沢からまたバスに乗り、途中「風の又三郎」の木細工小・中学校を眺めながら種山ケ原へ。
種山ケ原は「種山ケ原の 雲の中で刈った草は どごさが置いだが 忘せだ 雨ふる」のようにすっぽりと雲に包まれ、岩手山も早池峰山も何も見えない。物見山に登って眺める予定だったが断念。「星座の森」の風の又三郎像の前で記念撮影。その後、盛街道について研二さんからお話を聞き、種山ケ原を後にした。晴れて欲しかったが、雲の中の種山ケ原もなかなかいい。
雲の中の写真もいいでしょう。

米里文学散歩

米里文学散歩

予定よりも1時間ほど早く、旧木細工小・中学校に到着。木細工村おこしの会主催による「くるみ祭り」が盛大に行われていた。木細工小学校の子供たちも参加し、ステージを盛り上げ、教職員は「焼きそば」
「お好み焼き」を出店し地域民と共に頑張っていました。昼食は村おこしの会の特別の計らいで「くるみ餅」「カレーライス」「トン汁」を破格の安さでご馳走になり、参加者大感激!
来年は晴れの日に文学散歩をしたいと願っています。