「俺らのがきの頃は、種山は一面野芝だったがら裸足で歩いだもんだ。あるのは馬っこも食わねえレンゲツツジだげさ。」
私たちはそんな話を聞いて、宮沢賢治の「イーハトーブ風景地」でもあり、少しでもその当時の姿を残そうと草刈りをしながら守ってきました。その当時も咲いていた「皿っこ花っこ(東菊)」やツツジも賢治の森や物見山にいっぱい咲くようになりました。そんな取り組みの記録として撮っていた写真を地区民にお見せして、「種山ヶ原は俺たちの山なんだ」という意識を持っていただきたいのです。今回から6回に分けてお知らせします。写真の説明を小洒落て俳句でと思いましたが、難しいと感じました。恐れ多く5・7・5の形で書きます。
続きを見る>>種山ヶ原は今㉙