あの「田中陽希さん」も種山ヶ原に!
NHK・BS「日本百名山」「グレートトラバース」で有名な登山家田中陽希氏が2020年8月5日に北日本踏破の途中種山ヶ原に立ち寄ってくれました!
焼石岳から羽田の鋳物工場に立ち寄り、五葉山に向かう途中、姥石峠越えをやめ立ち寄ってくれたようです。
種山ヶ原の「星座の森キャンプ場」に一泊し、星座の森の薬湯に入り、物見山に登ってくれました。記念すべき日です。
続きを見る>>種山ヶ原はいま⑭
「賢治街道を歩く会」は宮沢賢治の足跡や作品と米里の関わりの深さを正しく後世に伝えるため発足した会です。
NHK・BS「日本百名山」「グレートトラバース」で有名な登山家田中陽希氏が2020年8月5日に北日本踏破の途中種山ヶ原に立ち寄ってくれました!
焼石岳から羽田の鋳物工場に立ち寄り、五葉山に向かう途中、姥石峠越えをやめ立ち寄ってくれたようです。
種山ヶ原の「星座の森キャンプ場」に一泊し、星座の森の薬湯に入り、物見山に登ってくれました。記念すべき日です。
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ロジャー・パルバース(米国生まれ 国籍 豪州)
NHK「100分de名著『銀河鉄道の夜』」のロケで2011年種山ヶ原を訪れています。著書「星砂物語」他翻訳も含め多数。
1983年 映画「戦場のメリークリスマス」の助監督(監督大島渚)
2013年 第19回野間文学翻訳賞「雨ニモマケズ」
2015年 井上靖賞
2021年 第18回宮沢賢治賞
1967年日本を始めて訪れた時、ある大学教授に「日本の中で一番美しい日本語を書いているのは誰ですか?」と尋ね、「宮沢賢治だ。」と教えられたとのこと。そして、読んだ童話が「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」だという。
彼が岩手を初めて訪れたのが、1969年。その時、宮沢賢治の弟清六さんに会い、それ以来長い付き合いになったようです。
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草野心平氏
宮沢賢治を世に出した福島県出身の草野心平氏も種山ヶ原を訪ねている。それは、昭和38年「旅と宿」8月号の執筆のためと想われる。大切に守らなければと改めて思った。
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11月24日の夜から種山ヶ原に雪が降った。星座の森の職員が朝来た時は15㎝以上で職員が雪囲いに取り組んでいた。これから4月まで銀世界の種山ヶ原。雪の中、5月オープンに向け業者によってコテージの修繕が行われていました。お疲れさん!来春が楽しみ!
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パソコン故障でメンテナンス中に種山ヶ原はすっかり初冬に入ってしまいました。落葉松はすっかり黄色から茶色に変わり、熊の姿はもう見えません。雄鹿たちの戦いはまだ続いているようです。
私は相も変わらず笹に覆われ隠れているレンゲツツジの幼木探しに取り組んでいます。笹の下のツツジは伸びることもできずにいるのに、陽を浴びている幼木は15㎝程でもきちんと花芽が付き、春を待っているのです。今、その幼木に草刈りの時に刈られないように印のついた支柱を傍に立てていますが、物見山駐車場の土手にはもう150本以上の目印の支柱が立っています。5年後レンゲツツジが一面に咲いてくれることを願いながらみんなで頑張っています。
種山ヶ原の朝を撮ろうと出かけています。いつももう一人写真を撮りに来る人がいます。鹿ワナを点検に来る人もいます。みんな前を向いて生きているんだ。
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