大雨で決壊した物見山登山道修復 今年2度目

物見山登山道に今年も5月、8月の大雨で大きな溝ができた。66日、82425日に菅原平八氏の協力を得、概ね補修したが、根本的な工事が必要と思う。また、種山高原観光協会の取り組みとして住田町・奥州市の関係者が登山道の整備を行った。本当にお疲れさまでした。多謝!

大雨で決壊した物見山登山道修復

蓮華つつじ再生に向けて

軍馬育成のための種山ヶ原は、裸足でも歩ける野芝だったそうです。馬の草の食み方が野芝を守っていたようです。又、馬は蓮華つつじを食べないので、牧場には蓮華つつじだけが残り、種山の風物のひとつになりました。宮沢賢治先生が訪れた頃も、野芝を駆ける馬の群れ、そして所々に蓮華ツツジが咲いていたのでしょう。古老たちは、種山ヶ原は裸足で歩ける野芝だったと言う。

私たちは、ここ10年以上雑木や笹に侵されたその蓮華つつじと野芝を救う取り組みを続けています。今年は、駐車場の土手に生える蓮華つつじの整備を進めています。よく見ると、幼木が50本以上あり、これらの生育を助けるために、今春から柳などの根を取り除き、整備を続けています。

「五輪峠」 宮沢賢治第2詩集「春と修羅16」

五輪峠からは、北上平野(胆沢平野)、江刺・水沢が見える。宮沢賢治は大正13年3月24日軽便鉄道で鱒沢駅に下車し、鮎貝~五輪峠~人首(泊)。その後、水沢緯度観測所を訪れている。この年に「銀河鉄道の夜」の執筆が始まったと聞くと、何故かうれしい。

現在残念なことに、五輪峠の木が大きくなり下界が少ししか見えなくなった。市にこのことを話すと快く市有林の木の枝を伐ることを許可してくれた。10月に伐採の予定。尚、春には上大内沢に下りる旧五輪街道の階段を9人の会員の協力で10年ぶりにリニューアルした。しかし、未だに街道の整備が進まず来訪者に迷惑をかけている。10月に整備作業を計画している。

私の覚えている五輪の塔は今とはかなり異なる。小学生の頃(1951)友達3人、先生とで五輪峠に行ったことがある。峠の崩れた道端に五輪塔の石が転がっていた。現在よりはるかに小さい丸い石が印象に残っている。新しい五輪街道ができた時、現在地に移動したのであろう。今、花巻市によって立派に整備されている。今の五輪塔は花巻市の人が建立したもののようだ。

※①賢治は大正6年にも訪れていたらしい。

②旧五輪街道を越えた人の中には、宮沢賢治以外に

・澤辺琢磨 ―坂本龍馬の又従兄弟 、ロシア正教の日本人で初めての司祭

・河東碧梧桐―正岡子規の弟子「人首と 書いて何と読む 寒さかな」(句碑は人首城に)

・佐々木喜善―日本のグリム

・柳田國男 ―「遠野物語」

③五輪街道は11月頃から5月頃まで雪のため通行止めになる。

五輪峠

種山ヶ原の草花

種山ヶ原の草花

賢治の森の主「サブちゃん」

9時過ぎにはいつも東屋に休んでいます。今日も軽トラで行くと、草むらからあいさつに出てきた。20186に撮影したこの子かもしれない?全てカメラ目線だ。

賢治の森の主「サブちゃん」

賢治の森の周辺 年中色々な花が咲き、色んな動物が遊んでいる

動物はアナグマ、キツネ、タヌキ、熊、鹿、そしてカモシカ。カッコーも春になるとよく鳴いてくれる。その頃春ゼミも鳴き、春の合奏だ。空にはワシやタカが舞い飛び、モズやキジバトの数が増え、種類も多くなった。モリアオガエルもいる。今、秋、佐藤充孝さんは賢治の森の下にある牧草の刈り取りに余念がない。トラクターが走ると、カラスやトンビが追いかける。とんぼの群舞も始まった。赤とんぼもちらほら見えてきた。

賢治の森の周辺