ふる里ニュース

「アンジェラスの鐘」の屋根が変わったよ! 宮沢賢治も聴いたであろうカトリカ教会の鐘!
明治17年教会堂が建立され、ジャッケ神父が常駐。明治30年代はマリオン神父、40年代はドシェ神父、マトン神父が常駐し、布教活動を続けていました。戦後は渡部さんが常駐。渡部さんが亡くなられてから三人のシスターが常駐し、布教活動が続けられた。明治38年から「アンジェラスの鐘」(フランス製)が人首の町に鳴りつづけて100年以上。しかし、信者の減少により常駐する神父もなく、鐘の音も途絶えることもありましたが、地元の小学生と地元有志によって鳴らし続けられています。
夕方5時前から「遊学スクール」(放課後教室)の子供たちと教会下の「一心床」の主中山昇幸氏及び有志がアンジェラスの鐘を鳴らしています。5時2分前に自徳寺の鐘、1分前にアンジェラスの鐘が鳴り始め、5時にはお館山のサイレンが鳴ります。時間的に微妙な差をもって人首の里山に3つの鐘が鳴り「音のある風景」の一つとして流れています。地区民にとっては心の安らぎを感じるひと時です。
過日、主に水沢教会の支援、そして大内住建・佐藤一郎板金、地元有志の支援で、鐘塔が改修され、十字架も取り付けられました。水沢教会、棟梁の大内住建、一郎板金、ボラテイアの皆さんありがとうございました。また、花壇に花木や花の球根や苗を提供していただいた1・2区の皆さん、ありがとうございました。
5月10日(金)4時30分から、遊学スクールの児童20名、地元の人たち等40名が集まり、お祝いの会が開かれました。カトリック水沢教会高橋昌司祭によるお祈り・祝別・讃美歌、花壇への花の種蒔き、そして、完成を祝って500個の「餅まき」が行われ、11個も拾った子もいて、大いに盛り上がりました。5時に子供と大人の代表が鐘を鳴らし、人首に町に鳴り響きました。

アンジェラスの鐘

アンジェラスの鐘

アンジェラスの鐘

アンジェラスの鐘

アンジェラスの鐘

アンジェラスの鐘

オズーフ司教の人首巡教記録

明治21年7月

ジャック神父の報告書によると、明治21年にはオズーフ司教が巡教し、実に盛大だったと伝えられています。

「(気仙沼教会の次の目的地が人首教会)7月23日気仙沼教会を出発。薄衣まで徒歩、ここから川蒸気船で一関泊、水沢で休憩のあと腕車(人力車)で人首に向う、水沢より人首まで5里ばかり、多くの信者が先頭に十字架の旗を立て、整然と行列をなして進む。人首に入るや一層の人数と参観者で道路は通行できないほど、人首村の小丘にある殿堂には緑門球燈その他いろいろな装飾を施し、田舎に不似合いな盛況に一同驚く。夜になって更に驚いたことは25年振りという打ち上げ花火が実に見事であった。当時は以前魯西亜教会(ハリストス正教会)の布教地であったが信者は我が公教に帰服して今はほとんどいない。司教は聖堂に参拝し、信者一同に謁を行賜い信者の祝詞など聞かれた。翌25日は聖シャコボの祝日で、洗礼4人堅振32聖体は5,60人に達す。司教は信者の厚遇に後ろ髪引かれる思いで人首を後に水沢教会へ向かった。」26日水沢発盛岡へ、盛岡の町に入る頃は腕車の数は5,60台もあった。オズーフ司教はその後青森へ向かってい
ます。

ジャック神父・報告書
明治32年

「東京より汽車にて青森に至らんとする人は岩手県水沢の停車場に着く頃、右方に当たりて鋸の歯形をなせる山脈の連れるを見ん。その中に殊に高く聳ゆる一峰あり。勾配北に向かうて漸くに降る。之を種山と呼ぶ。(宮沢賢治で有名な種山ヶ原。水沢より7里)人首の邑は其の麓に在り、大船渡街道に当りて戸数二百余を数え、我が岩手第二の教会あり。能く信仰を守り居る我が信者は、凡そ60人を数うるなり。復活の勤めをなす信者のみにても30人を越ゆ。此地に最も長く働ける伝教士を吉田喜三氏とす。昨年9月司教閣下が堅振の秘跡を授くるために臨まれし時の如き此地の信者は能く2か月の間熱心に教理を研究し、当日の準備をなしたりき。・・・・・・・ 」

ジャック神父・報告書

ジャック神父・報告書

ジャック神父・報告書
三人のシスターが去り、教会を守る人もなく、老朽化したために2010年初冬取り壊されました。子どもの頃、信者でもないのに毎週日曜日9時になると、カトリカ教会に礼拝堂ぎっしりとなるくらいの子供達や信者が集まり、お祈りをし、賛美歌を歌い、神父さんのお説教を聞きました。時には外国人の神父さんが外車で来たり、葬式も仏教と違い華やかだったりと色々なことを知ることができました。そのようなことを懐かしみ、語り、写真を撮ってお別れをしました。なお、地元の人たちはカトリカ教会と言いますが、正しくはカトリック教会と言います。今は、カトリック水沢教会が管理をしています。