「昔、立石に上ると人首の町が見えた。」と古老が言う。昔は確かに高く思えた。自然に崩れ、低くなった。その立石が雑木などにすっかり覆われ哀れな姿に。みんなも気がついていたのだろう。すぐ同調してくれた。ありがたいことだ。10年前に伐った松の木のこどもが2メートルほどに成長していた。
ボランテイアの春男さん、小竹さん、平八さん、秀夫さん、いつもありがとう!
続きを見る>>賢治の森「立石」 スッキリした!
「賢治街道を歩く会」は宮沢賢治の足跡や作品と米里の関わりの深さを正しく後世に伝えるため発足した会です。
「昔、立石に上ると人首の町が見えた。」と古老が言う。昔は確かに高く思えた。自然に崩れ、低くなった。その立石が雑木などにすっかり覆われ哀れな姿に。みんなも気がついていたのだろう。すぐ同調してくれた。ありがたいことだ。10年前に伐った松の木のこどもが2メートルほどに成長していた。
ボランテイアの春男さん、小竹さん、平八さん、秀夫さん、いつもありがとう!
続きを見る>>賢治の森「立石」 スッキリした!